「俺たちは天使じゃない」(1998年)感想:このはしわたるべからず
映画「俺たちは天使じゃない」(1989年製作)についてです。ストーリーの最後についても言及しています。NHK BSプレミアムで放送していたのを観ました。はるか昔にレンタルビデオ店からVHSテープを借りて観たという記憶があるのですがストーリーなんかは全く覚えていませんでした。
映画で「橋」という場所は結構重要な役割を背負わされているのです。「あの世」と「この世」など、何らかの境界線としての機能があります。左から橋を渡り始め、途中で何かがあって、渡り終える頃には心境が変化している、とか。見ている人にも分かりやすいからだと思います。 だから橋を丁寧に扱っている監督の作品は面白いものが多いです。「俺たちは天使じゃない」(1989年)は橋を渡れるか渡れないか、という話だけで作られた作品です。That’s Hollywood! という感じの練りに練られた脚本。なんとなく「鎌倉殿の13人」の脚本家を彷彿させるドタバタコメディです(こっちの映画の方が先ですが)。立て続けに起こるトラブルを割と強引に切り抜けていくところなんかが似ているなと思います。もちろんこの映画の監督は橋を丁寧に扱っています。
橋がアメリカとカナダの国境になっていて、ロバート・デ・ニーロとショーン・ペンの脱獄犯たちは捕まる前に国境を越えようと焦っています。橋を渡って逃げおおせることができれば天国が待っている。しかし天使たちはなかなか天国へ行かせてもらえない。
何度目かの挑戦で、あともう少し! というところまで来たのに引き返さなくちゃいけなくなった時のデニーロの表情が最高です。カメラの手ブレのせいで表情がハッキリとは見えないんですが、映画史上3大やるせない表情の一つじゃないでしょうか。あと二つは知りません。「こわれゆく女」のジーナ・ローランズは入るかな?
ショーン・ペン(顔がちっちゃい!)が急に覚醒する大演説、それを聞いて急に心を入れ替えるホラン千秋似のデミ・ムーア、と多少強引な展開のあとのラスト直前。ショーン・ペンが国境を超えずこちら側にとどまって神に奉仕する決意をしていることは、ここまで観た人なら全員分かるようになっています。
それをデ・ニーロにどこで伝えるのか? もちろん橋の上です!
凡庸な演出家ならきっと「オレ、ここに残ることにしたんだ…」なんてショーン・ペンに言わせるところだけど、この監督は違う。デミ・ムーアを使ってデ・ニーロとショーン・ペンを物理的に離れた場所に配置し、会話ができない状況を作る。セリフなしで、表情と身振り手振りと視線のやりとりで自身の決意を伝え、それを受け入れる。二人の別れに言葉はない。
このシーンの二人の演技(演技という言葉を使いたくないけどぴったりの言葉が出てこない!)に心を打たれます。
何かを失うと何かを得る、という言葉があります。デ・ニーロは橋の上で新しいパートナーを手に入れます。しかも二人も。ショーン・ペンも同様。二人の新しい別々の人生が始まります。
えっ? ショーンの新しいパートナーは修道僧の一人だけじゃないかって? 不公平じゃないかって?
ラストショットをよくご覧なさい。
画面のど真ん中、ショーン・ペンのもう一人の新しいパートナー、「あの方」がハッキリ映っているではありませんか!